麺鮮醤油房 周月 鷹野橋店

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創業から現在までpart2

こんばんは松田です!今日も麺がうまい!

という事で本日は!

 

②修業を書いていきます!

 

こうして(詳しくは①をご覧ください)周月開店への一歩を踏み出した松田は数ヶ月の間、周一で働かせて貰いました。

 

ある日「松、愛媛行って製麺覚えて来て」

 

そう、当時周一には製麺機が無かったので、愛媛の「周平」に行って麺の作り方を覚える必要がありました。

 

「わかりました」

 

ずっと広島から出ていない松田にとって県外での修業はワクワクしかありませんでした。

 

それからなんやかんや話が二転三転し、結局愛媛で出した新店舗「真中」が滅茶苦茶忙しいらしくそっちを手伝うという流れになりました。

そこにも製麺機があるとの事で、少しでも力になれればと張り切って海を渡りました。

 

入店すると、オープン3日目という事でかなりの忙しさでした。

流れでいきなり厨房を任されました。

しかしここで前職の経験が活きました。

席数、メニュー数、来客数など前職と似ていたので瞬く間に救世主的存在になりました。多分なってたと思います。なってましたよね…?

 

結局新店舗が落ち着くまでの3ヶ月ほどお世話になりました。

1番の思い出は松田がまかないで開発した「天かすごはん」が空然絶後の大不評だった事です。

トラウマ級の油っこさに試食した誰もが悶絶したのです。

当時を知る人に会うと14年経った今でもイジられます。(今後メニュー化の予定もありません)

 

3ヶ月はあっという間に過ぎ、修業というには楽しすぎる毎日でした。

広島に帰った松田はすぐに周一へ報告に行きます。

 

「松、製麺覚えた?」

 

「いえ、ずっと厨房にいました笑」

 

「うぉぉぉぉぉい笑」

 

この後、松田はもう一度愛媛に渡り、今度は「周平」で1ヶ月朝から晩まで麺を習ったのでした。

 

それでは今日はこの辺で。